ゴミステーションを愛したい
私はゴミステーションが好きだ。
まだゴミステーションのことを好きになってから一年弱と年月は浅いが、それでも大好きだ。
これから、私がゴミステーションへ愛を注ぐようになったきっかけを記していこうと思う。
私がゴミステーションのことを好きになったきっかけは、私が参加したボランティア活動である。私や友人などを含む数人のグループが、ボランティアでとある自治会と協力する機会があった。その際に、地元の方に案内されながらその地域の名所を巡る散歩をした。その時に出会ったのがゴミステーションだった。
もちろん私も普段からよく利用しているゴミステーション。いつもの自分なら好きになることも意識することもなかっただろう。
しかし、その時私はとてもテンションが高かった。ボランティア活動であったとはいえ、友人達と散歩など、私にとっては遊びと同じことだったからだ。
散歩の道中、たまたま目に入った比較的綺麗めなゴミステーションに、私の意識は向いた。
「これ、綺麗じゃないですか?」
私は同行者に共感を呼びかけた。
みんな共感してくれた。
「折角だから記念写真でも撮るか。」
私はノリで、その比較的綺麗めなゴミステーションの前でピースし、写真を撮ってもらった。
他の誰も一緒に映ってくれなかったが、私はそれでよかった。それがきっかけで、私のゴミステーション愛に火が付いたのだから。
ボランティアと称した散歩の機会はそれから数回あり、私は毎回ゴミステーションを探して歩くようになった。
それを見かければ、すぐさまスマホのカメラアプリを起動し、様々な方向から写真を数枚撮った。予定のルートから少しずれた場所にあるとわかれば、全速力で付近に行ってまで撮影した。
その熱量を感じたのか、ただ面白がっているのか、同行者もゴミステーションを発見したら私に教えてくれるようになった。それだけではなく、私が参加できなかった日に見つけたらしいゴミステーションの撮影までしてくれた。それは流石に驚いた。
ゴミステーションにもいろんな種類、個性、使われ方がある。ゴミステーションを見ればその土地の雰囲気がわかる、と言っても過言ではないかもしれないぐらい。
私もいろんなゴミステーションに出会った。
木製のおしゃれな物、鉄のパイプでできた無骨な物、もはや小屋なのではと思う程大きな物、鮮やかに咲いた薔薇を身に纏っている物。
そのどれもが自分を主張し、地元の人々に愛され、日常に根付いていた。とても美しかった。その姿に私は感動した。
私がゴミステーションに出会ってから、私の日常が激変したとは言えない。しかし、少し楽しくはなった。
外を出歩けば姿を見せてくれる様々なゴミステーション達。
それは、利用する人や管理する人の個性が表れた、無意識を写し出すキャンバス。見る時間帯や天気、捨てられている物など、いろいろな条件によって見え方が大きく変わる、素晴らしく芸術的な場所である。
偶然この記事を見つけてしまった貴方も、ぜひお近くのゴミステーションを観察してみてはどうだろうか。きっとその子自身の個性が見つかるはずである。貴方のよく使うゴミステーションを愛してあげてほしい。
個人用のゴミステーションが欲しくなって軽く探してみたところ、安価な物はすぐにでも手に入れられそうなことがわかったので、私もお金が貯まったら買おうと思う。